Fの足跡3(Chap41〜60)

 
Chap60:First Step
2004/4/12 18228歩(累計1118679歩)
  ポケットマップを携行しての、初めての漫歩。やっぱり、地図があると違うね。わけの分からない道でも平気で入っていける。おかげで、幡ヶ谷〜自宅間の漫歩にもまだまだ開拓の余地があることが判明した。それでも、迷うときは迷うんだけどね。これからも、100円マップは漫歩の強い味方になってくれそうだ。あとは、方位磁石が欲しいかも。裏道系を歩いていると、たまに方向感覚がおかしくなるから。方位磁石があれば、富士の樹海にでも入り込まない限り大丈夫だからね。
  しかし、夜だったこともあって、今回の漫歩にはハイライトがなかった。平和の森公園は、今度昼間に行ってみたいな。
 
Chap59:No More Waste
2004/4/8 16272歩(累計1100451歩)
  同じ道でも、歩きながら何を考えているかによって、見える風景は毎回異なるものだ。もう何回も歩いた環状6号線だが、今日初めて中野坂上付近に100円ショップの「ダイソー」があることに気づいた。特に何を期待していたわけでもなく、店内をうろついてみる。すると、なんと100円で東京都内のロードマップを売っているではないか! 以前自宅近くのダイソーに入ったときにはポスタータイプの地図しか売っていなかったのだが、ポケットサイズの地図“帳”があったのだ。即、買い! これで、今後ますます漫歩が組み立てやすくなる。無駄なく歩き回れるようになるだろう。重要アイテム、ゲット!
 
Chap58:Mixing Up Public&Private
2004/4/5 18683歩(累計1084179歩)
  今日は午前中幡ヶ谷で仕事。午後からは赤坂でミーティング。昼休みを含めて3時間の猶予があったので、思い切って徒歩で移動することにした。どんなに仕事が忙しくても、常に漫歩の機会を窺っているのだ。「公私混同も甚だしい」と言われそうだが、もともと私は「公」と「私」の境界線が曖昧な人間だから。
  今日の写真を1枚。まだまだ桜も残っていたのだが、ここのところ桜ネタが続いたので、趣向を変えて鳩の熱愛シーン(赤坂駅近くの氷川公園にて)を。前回にもちょっと書いたけど、春は、鳩にとってはお熱い時季なのね。
 
Chap57:HARU−URARA
2004/4/3 25276歩(累計1065496歩)
  「ハルウララ 高知競馬に 隅田川」
  怒濤の106連敗を記録した「ハルウララ」号も見てみたいのだが、高知まで行くわけにもいかないので、隅田川の方で。最下流の勝鬨橋(レインボーブリッジは考えないものとします)からスタートして、白髭橋まで合計15本の橋をつぶさに渡ってみた。隅田川に架かる橋って、どれもこれも橋脚がえらい短いのね。橋桁が水面すれすれのところにあるわけ。屋形船に乗ったら面白いだろうなぁ。ヘタをすれば、橋桁に手が届くかも。今回は写真が多いので、久々にミニギャラリーを用意しました。永久保存版の全橋掲載です。
 
Chap56:Unrevolving Door
2004/4/1 20223歩(累計1040220歩)
  今さら言うのもナンセンスだが、回転ドアは危ないなと、前から思っていた。事故があって、ずさんな管理が浮き彫りになると、もはや悪者一直線。東京オペラシティの回転ドアまで使用不可になっていたのはウケた。オペラシティもずさん管理だったの? で、六本木ヒルズ。もちろん、回転ドアは使用不可。回転ドアって、いざ使えなくなると不便だね。脇にあるドアは自動ドアじゃないことが多いし、しかもやたらと重い。今度は脇のドアに挟まれる事故が起きるかもね。
  おまけ写真。ライトアップされた東京タワーを、真下から。このローアングル、良くない? ちょっと盗撮感覚で(失敬)。
 
Chap55:Cherry Blossom
2004/3/28 22547歩(累計1019997歩)
  連日の2万歩オーバー。それもそのはず、昨日今日の暖陽で、桜という桜が一気に開花したのだから。否が応でも浮かれてしまう。早速、今日の写真を。
 1:武蔵関駅付近の桜並木の一コマ
 2:桜を従えて走る西武新宿線急行列車
 3:「柳の下の泥鰌」ならぬ、「桜の下の恋人たち」(関公園)
 4:急激な気温変化で、枝垂れ桜まで狂い咲き(関公園)
  昨秋の紅葉は、寒暖の変化が激しくて綺麗に色づかなかった(Chap24)けど、桜の花は大丈夫なんだな。よし、散らないうちに、今度は夜桜を見に行こーっと。
 
Chap54:Just Before
2004/3/27 22727歩(累計997450歩)
  満開を待ちきれず、猿江恩賜公園でお花見。全体的にはまだまだ三分咲きといったところだが、一部日当たりのいいところでは満開に近いものもあった。園内の芝生広場では、気の早い花見客も結構繰り出している。さしずめ、「花より団子」といったところだろうか。
  ついでに寄った上野・寛永寺の写真と併せてどうぞ。
  1:猿江恩賜公園の桜(1)
  2:猿江恩賜公園の桜(2)
  3:上野寛永寺
  4:上野寛永寺の桜
 
Chap53:One−Eighty
2004/3/24 17232歩(累計974723歩)
  最近噂の180円ラーメン。チェーン元は上野周辺だと思う(店舗が多いため)のだが、早稲田通りの中野−落合間にも進出していた。大きな看板に「びっくりラーメン」と書かれているのに、店名は「ラーメン一番」。う〜む、怪しい。
  とりあえず、実食してみました。結論から言うと、値段相応の味。決してレベルが高いとは言えません。でも、なんだか学食のラーメンのような味で、高校・大学時代が懐かしくなった。私が確認した限りでは、三ノ輪・千駄木・亀戸にもあります。是非一度いかがでしょう? ただし、注意点が2つ。
 1:消費税別  2:深夜割増(100円増)あり。
 
Chap52:Dig Dug
2004/3/19 17209歩(累計957491歩)
  ほんの5年ほど前まで、環八井荻駅前には西武新宿線の踏切があった。もちろん、開かずである。もちろん、大渋滞の種である。立体交差化の工事は、ずいぶん前から行っていた。かれこれ、15年以上前からではないだろうか。それも、最初は線路を高架化すると聞いていたのだが、いつの間にか頓挫して、結局道路の方がトンネルを掘った。そんな経緯だったと思う。日本建築史に名を残す手際の悪さだった。同じ西武でも、池袋線の中村陸橋は一晩でやってのけた(これは日本建築史に名を残す快速工事だったと思う)のに……。ともあれ、これで渋滞は解消……していないんだな、これが。
 
Chap51:Downhill
2004/3/16 13418歩(累計940282歩)
  Chap25で一度紹介した、三宅坂。ここから眺める夜景、本当に好きなんです。東京の夜景スポットベスト3に入れたいほどである。ちなみに、残りの2つは「三田三丁目付近から眺める東京タワー」と「幡ヶ谷付近から眺める西新宿高層ビル群」かな、今のところ。
  安っちいデジカメでは夜景の写真を撮るのは困難なのだが、とりあえず撮ってみたので、恥を忍んで掲載したい。
  その1:三宅坂上から日比谷方面を望む
  その2:三宅坂下から半蔵門方面を望む
  光が内堀の水面に写っていて、綺麗でしょう?
 
Chap50:Citadel
2004/3/14 26722歩(累計926864歩)
  墨堤通りと隅田川に挟まれた、東白髭公園。ここはもはや城塞都市だ。西側は隅田川という堀に守られ、残る三方向はいずれも高層の都営住宅に囲まれている。そして、この区画の中に小・中・高の各学校、運動場、病院、寺や神社まで備わっている。東京という狭い街の中で、さらに小さな城塞都市が形成されている。ちゃんと花見だってできる。ほとんど城塞の外に出ない人もいるのではないだろうか。
  余談。堀切菖蒲園駅近くの惣菜屋「さいとう」は、激烈安い。コロッケ25円、焼き鳥40円、弁当250円。この店、大山に引っ越してくれないかなぁ。後日、ちゃんとチェックします。
 
Chap49:Re - Acrophobia
2004/3/11 14881歩(累計900142歩)
  都庁を右に見ながら、西新宿の高層ビル群の谷間を歩く。高層ビルを見上げていると、なんだか自分の方に倒れてきそうな気がする。これは私の精神面の問題ではなく、視覚的錯覚だと思う。ビルというビル全部が、本当にピサの斜塔のように傾いて見えるのだ。
  もとより、私は極度の高所恐怖症である。螺旋階段とか大嫌いだし、飛行機なんて乗るくらいなら死んだ方がいい。そして、高層ビルに関しては、下から見上げているだけで貧血を起こしそうになる。いわば、「逆高所恐怖症」だろうか。ビルが傾いて見えるのも、恐怖感が下地になっているのかな。
 
Chap48:Love Beer?
2004/3/8 13611歩(累計885261歩)
  夜のガーデンプレイス。てっきり「Lovers Only」の札でも下がっているのかと思っていたのだが、意外にも閑散としていた。家路を急ぐ人影が少々、酔い醒ましの休息をとるオヤジが少々、そしてただウロウロしているだけのガードマンが少々。非常に落ち着いた空間が広がっていた。ここの良さを一言で語るなら、「近代と現代の調和」ということになるだろうか。則ち、超高層ビルと煉瓦造風の建物。暗すぎず、明るすぎない照明。園外を埋め尽くす漆黒の闇。うん、この辺りはネオンが少ない地区だからこそ、この「灰明るさ」が引き立つのかもしれない。今度はここで一杯、いかがでしょうか。
 
Chap47:White & Red
2004/3/6 16766歩(累計871650歩)
  ちょうど梅の季節。菅原道真公を祀った亀戸天神では、梅見を兼ねることができた。いや〜、この神社、素晴らしいね。よくもまぁこんな狭い敷地にこれだけの庭園を造れたもんだ。肝心の梅の方は、まぁボチボチと。もともと梅って豪華絢爛に咲き乱れるものではないけど、まぁ極めて日本的な咲き方だった。面白かったのは、1本の木に紅梅と白梅の両方の花が咲いている、「紅白梅」。これは珍しい。写真が逆光気味になってしまったのが残念だ。
  それから、墨田区墨田4丁目の路地(加藤宅)で綺麗な花を見つけたので、こちらの写真も。
 
Chap46:Like A Snake
2004/3/3 18554歩(累計854884歩)
  幡ヶ谷から自宅までのルートも、そろそろレパートリーが尽きてきた。もう、まるで蛇のようにくねくねと曲がって、なんとか新規ルートを開拓している。と同時に、歩行距離を稼ぐ。まっすぐ帰ったのでは、1万歩そこそこにしかならないから。それでも、そろそろこの辺は歩き飽きてきている。それは認める。でも、沿線に未食の駅そばがまだ何軒かある以上、足を断つわけにはいかない。これはもはや意地だ。よく、友人から「意地になってない?」と言われるが、その通り。意地になっている。意地を張って、苦肉の策で新規ルートを見出しながら、しつこくしつこく歩き続ける。まさに、蛇のしつこさで。
 
Chap45:Deep Crack
2004/2/28 27419歩(累計836330歩)
  小学校だったか中学校だったか忘れたが、必ず習う大森貝塚。モース博士が発見したのだが、自分の名前を付けずに地名から名付けたのが美徳であるというような話を、道徳で習ったような気がする。
  さて、発見から100年近く経った今、どのように残されているのだろうか。答えを一言で言うと、ビル群に埋もれていた。一応国の史跡として残ってはいるのだが、入口はビルとビルのわずかな隙間。「関係者以外立入禁止」の看板が出ていそうな螺旋階段を降りて線路端に出ると、記念碑のようなものが一つ。これで終わり。もはや史跡とは言えない。
 
Chap44:Sleeper Hold
2004/2/26 18977歩(累計808911歩)
  昨日の睡眠時間、1時間半。さすがに今日の仕事はきつく感じた。早く帰ってぐっすり眠りたいところだ。しかし、定時で上がって即帰って寝ると、間違いなく夜明け前に目が覚める。朝まで悶々として、昼頃になって眠くなってくるだろう。これでは悪循環だ。どこかでこの流れを断ち切らなければならない。
  そこで、今日は歩くことにした。歩くことで家に帰る時間を調節し、疲れることでより深い睡眠を得ようというわけだ。朝までぐっすり休んで、明日からは平常通りのダイヤに戻さなければ。
 
Chap43:“J”
2004/2/21 13396歩(累計789934歩)
  靖国通りを歩いていてふと思ったのだが、自衛隊総監部が靖国通り沿いにあるというのは何とも皮肉というか、何らかの意図を感じてしまうのは私だけだろうか。時節がら、ピリピリと神経が尖っている自衛隊。夜の9時、周囲にはぐるりと警備の網が張り巡らされていた。
  ところで、私はかつて自衛隊を「J隊」と表記した漫画を読んだことがある。Jリーグ、Jフォン、J-Waveなど、「J」という文字は「日本」を端的に表している。その意味では、まさに「J隊」とは言い得て妙である。遙かイラクくんだりに出向いてまで「侍A隊」に成り下がらないよう、切に願う次第である。
 
Chap42:Spring-Heralding Gale
2004/2/15 23762歩(累計776538歩)
  平年より18日早い春の訪れ。綾瀬駅を降り立ってみると、生暖かい風が吹き荒れていた。春一番。レジ袋が空を舞い、歩道の駐輪場はドミノ倒し。パチンコ店の店員がせっせと幟を片付けていた。目に埃が舞い込んでも、なぜか許せてしまう。それが、春の幕開け。まだ啓蟄前なのだが、我々はそろそろ活動を始める季節だ。コタツでモゴモゴしていないで、外に繰り出そう!
  東京漫歩を初めてからというもの、季節の変化に敏感になってきたような気がする。それだけでも、歩く意味があるのかもしれない。普段ほとんど家から出ないだけに、ね。
 
Chap41:Once Upon A Time In HATAGAYA
2004/2/7 10577歩(累計752776歩)
  幡ヶ谷。今、私が日々を過ごしている街。そして、40年ほど前に私の叔父が住んでいた街でもある。先日父と盃を交わしたときに、初めてその事実を知った。当時は父も頻繁に叔父のところに遊びに行っていたため、幡ヶ谷にはそこそこ詳しい。六号坂を降りきったところにあるラーメン屋で知り合った女の子と行きずりの旅をして、あやうく(?)結ばれるところだったのだとか……。父の武勇伝はいつも針小棒大に語られるので、どこまでが真実なのかは定かではない。だが、40年の歴史を跨いで私がここにいるという符合には、何か因縁めいたものを感じてしまったのだった。
 


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